久方振りの日記です
先日は瀬戸のイベントで「青江(貞次作)」と「同田貫(正国作)」「康継(徳川愛刀)」」「鶴姫一文字(謙信愛刀一振り)」など名刀を始め、
将軍刀など軍刀(天皇所持刀)や西洋のレイピアなどを見てきました。居合道の師範(お名前は伏せます)の方所有のものを特別展示されておりました。
印象的なのは同田貫ですね。
抜き身の刀を拝見していましたら、徐に「ん」と差し出され持たせて頂きました。感謝です。
同田貫とは刀工集の名前であり、刀剣乱舞の同田貫正国とは刀工の名前です。刀の銘ではありませんし、「同田貫刀工集の刀の集結」が刀剣乱舞の同田貫正国何だろうと推測。
拝見した同田貫、刀身の厚みが厚く、持った時に「ずっしり」とした重みがあります。あそこまで厚さのある刀身は初めて拝見しました。
素朴で装飾のない刀剣は、それ故にこそ刃文の美しさと、抜き身の力強さがとても際立ちます。
刀剣乱舞に登場する同田貫正国もこれくらいどっしりとしたもので、実に美しい刀剣なのでしょう。
確かにあの重さと厚みであれば、刀の自重(これ大事)と僅かな腕力(力の抜き加減)と気迫(大事)で振り下ろせば兜も割れるなぁとしみじみ感じました。
あと、なんだか悲しくなってしまったのは、昭和天皇が所持していたという軍刀です。
大久保卿たちが活躍していた明治期の軍刀はとても華やかなものですが、二次大戦以降の軍刀はとてもシンプルな銀色をしたものでした。
本当に飾り気のないもので、これを昭和天皇が帯刀していたのかと思うと悲しいですね。
それが敗戦したが故なのかもしれません。
(拝見したものは昭和天皇が実際に帯刀していたものでした。菊の御紋が鎺(はばき)の上にあり、その為、刀身は御紋分長くなっていました)
家継に関しては、徳川と師範の方以外が所持した事がないそうで、茎が随分と短く擦り上げられていました。
刀は所有者の背丈や好みに合わせて擦り上げられるものなのです。
信長公も宗三左文字を5寸(約15cm)は擦り上げていますし、へし切長谷部に至っては3尺(約90cm)近くあったのですが、信長公の手に来た時はすでに大擦上された後だと思われます。
鶴姫一文字は上杉謙信の愛刀の一つで、謙信刀で有名な合口拵えでした。
現代刀工の方が鍛刀されたものもあるようですが、拝見したのは本物だと所有者である師範の方は仰ってました。
馬針という、騎乗で鬱血した馬の足から放血させる為のものと、髷を直したり頭を掻いたり、耳掻きする為の笄(こうがい)もありました。
また、鋒は小烏造りとも呼ばれる、「鋒両刃造(きっさきもろはつくり)」で、これは鋒が両刃刀になっています。
なので、突くことも出来、この作りは拝見した軍刀にもありました。
あと、十手や鉄扇、懐刀も拝見しました。
十手の使い方を拝見し、鉄扇での戦い方をレクチャー?(やられる側)して頂きました。
仕込みの鉄扇とか。
そして最後になりましたが、にっかり青江と同じ刀工である貞次作の「青江」です。
正式な折り紙(現在云う証書)付きで、刀身は当然ながら鍔も美しく、御所車が3つあしらわれてました。印象的でした。
数珠丸ベビ白龍と撮ってきましたので、後々UPしたいと思います。
以上、黒風的レポート?でした。